漱石が描いたロンドン 一覧に戻る :

倫敦塔

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二年の留学中ただ一度だけ倫敦塔を見物した事がある。その後再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われたこともあるが断った。一度で得た記憶を二返目でぶち こわすのは惜しい、三たび目に拭い去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。

行ったのは着後まもないうちの事である。その頃は方角もよくわからんし、地理などはもとより知らん。まるで御殿場の兎が急に日本橋の真ん中へ放り出されたような心持ちであった。表へ出れば人の波にさらわれるかと思い、家に帰れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑い、朝夕安き心はなかった。この響き、この群衆の中に二年住んでいたら、吾が神経の繊維も遂には鍋の中の麩海苔の如くべとべとになるだろうとマクス・ノルダウの退化論を今更の如く大真理と思う折りさえあった。。

しかも余は他の日本人の如く紹介状を持って世話になりに行く宛もなく、また在留の旧知とては無論ない身の上であるから、恐々ながら一枚の地図を案内として毎日見物のためもしくは用達のため出あるかねばならなかった。無論汽車へは乗らない、馬車へも乗れない、滅多な交通機関を利用しようとすると、どこへ連れて行かれるか分からない。この広い倫敦を蜘蛛手十字に往来する汽車も馬車も電気鉄道も鋼条鉄道も余には何等の便宜をも与える事ができなかった。余はやむを得ないから四つ角へ出るたびに地図を開いて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める。地図で知れぬ時は人に聞く、人に聞いて知れぬ時は巡査を捜す、巡査でゆかぬ時はまた他の人に尋ねる、何人でも合点の行く人に出会うまでは捕まえては聞き呼び掛けては聞く。こうしてようやくわが指定の地に至るのである。

「塔」を見物したのはあたかもこの方法に依らねば外出の出来ぬ時代の事と思う。来るに来所なく去るに去所を知らずというと禅語めくが、余はどの路を通って「塔」に着したか又如何なる町を横切って吾家に帰ったか未だに判然しない。どう考えても思い出せぬ。ただ「塔」を見物しただけは確かである。「塔」そのものの光景は今でもありありと眼に浮かべる事ができる。前はと問われると困る、後はと尋ねられても返答し得ぬ。ただ前を忘れ後を失したる中間が会釈もなく明るい。あたかも闇を裂く稲妻の眉に落ちると見えて消えたる心地がする。倫敦塔は宿世の夢の焼点のようだ。

倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである。過去という怪しき物をおおえる戸張が自ずと裂けてがん中の幽光を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。すべてを葬る時の流れが逆しまに戻って古代の一片が現代に漂い来れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である。

この倫敦塔を塔橋の上からテームズ河を隔てて眼の前に望んだとき、余は今の人かはたいにしえの人かと思うまで我を忘れて余念もなく眺め入った。冬の初めとはいいながら物静かな日である。空は灰汁桶をかき混ぜた様な色をして低く塔の上に垂れかかっている。壁土を溶かしこんだ様に見ゆるテームズの流れは波も立てず音もせず無理矢理に動いているかと思わるる。帆掛け船が一隻塔の下を行く。風なき河に帆をあやつるのだから不規則な三角形の白き翼がいつまでも同じ所に止まっている様である。伝馬の大きいのが二艘上ってくる。ただ一人の船頭が艫に立ってろ魯を漕ぐ、これもほとんど動かない。塔橋の欄干のあたりには白き影がちらちらする、大方かもめであろう。見渡したところすべての物が静かである、物憂げに見える、眠っている、皆過去の感じである。そうしてその中に冷然と二十世紀を軽蔑するように立っているのが倫敦塔である。汽車も走れ、電車も走れ、いやしくも歴史のあらん限りは我のみは斯くてあるべしと言わぬばかりに立っている。その偉大なるには今更の様に驚かれた。この建築を俗に塔と称えているが塔と言うは単に名前のみで実は幾多の櫓から成り立つ大きな地城である。並び聳ゆる櫓には丸きもの角張りたるものいろいろの形状はあるが、いずれも陰気な灰色をして前世紀の紀念を永劫に伝えんと誓える如く見える。九段の遊就館を石で造って二三十並べてそうしてそれを虫眼鏡で覗いたらあるいはこの「塔」に似たものは出来上がりはしまいかと考えた。余はまだ眺めている。セピア色の水分をもって飽和したる空気の中にぼんやり立って眺めている。二十世紀の倫敦がわが心の裏から次第に消え去ると同時に眼前の塔影が幻の如き過去の歴史を吾が脳裏に描き出してくる。朝起きて啜る渋茶に立つけむりの寝足らぬ夢の尾を引くように感ぜらるる。しばらくすると向こう岸から長い手を出して余を引張るかと怪しまれてきた。今まで佇立して身動きもしなかった余は急に川を渡って塔に行きたくなった。長い手はなおなお強く余を引く。余はたちまち歩を移して塔橋を渡り懸けた。長い手はぐいぐい牽く。塔橋を渡ってからは一目散に塔門まで馳せつけた。見る間に三万坪に余る過去の一大磁石は現世に浮遊するこの小鉄屑を吸収しおわった。門を入って振り返ったとき、

   憂の国に行かんとするものはこの門を潜れ。
   永劫の呵責に会わんとするものはこの門をくぐれ。
   迷惑の人と伍せんとするものはこの門をくぐれ。
   正義は高き主を動かし、神威は、最上智は、最初愛は、われを作る。
   我が前に物なし只無窮あり我は無窮に忍ぶものなり。
   この門を過ぎんとするものは一切の望を捨てよ。

という句がどこぞに刻んではないかと思った。余はこの時既に常態を失っている。

空濠にかけてある石橋を渡って行くと向こうに一つの塔がある。これは丸形の石造で石油タンクの状をなしてあたかも巨人の門柱の如く左右に屹立している。その中間を連ねている建物の下を潜って向こうへ抜ける。中塔とはこの事である。少し行くと左手に鐘塔が峙つ。真鉄の盾、黒鉄の甲が野をおおう秋の陽炎の如く見えて敵遠くより寄すると知れば塔上の鐘を鳴らす。星黒き夜、壁上を歩む哨兵の隙を見て、逃れ出ずる囚人の、逆しまに落とす松明の影より闇に消ゆるときも塔上の鐘を鳴らす。心おごれる市民の、君のまつりごと非なりとて蟻の如く塔下に押し寄せてひしめき騒ぐときもまた塔上の鐘を鳴らす。塔上の鐘は事あれば必ず鳴らす。ある時は無二に鳴らし、ある時は無三に鳴らす。祖来る時は祖を殺しても鳴らし、仏来る時は仏を殺しても鳴らした。霜の朝、雪の夕、雨の日、風の夜を何遍となく鳴らした鐘は今いずこへ行ったものやら、余が頭をあげて蔦に古りたる櫓を見上げたときは寂然として既に百年の響を収めている。

また少し行くと右手に逆賊門がある。門の上には聖トーマス塔が聳えている。逆賊門とは名前からが既に恐ろしい。古来から塔中に生きながら葬られたる幾千の罪人は皆舟からこの門まで護送されたのである。彼等が舟を捨てて一度びこの門を通過するや否や娑婆の太陽は再び彼等を照らさなかった。テームズは彼等にとっての三途の川でこの門はよみに通ずる入り口であった。彼等は涙の浪に揺られてこの洞窟の如く薄暗きアーチの下まで漕ぎ着けられる。口を開けていわしを吸うくじらの待ち構えている所まで来るや否やキーと軋る音と共に厚樫の扉は彼等と浮き世の光とをとこしえに隔てる。彼等はかくして遂に宿命の鬼の餌食となる。明日食われるか明後日食われるか或いはまた十年の後に食われるか鬼より外に知るものはない。この門に横付につく舟に中に座している罪人の途中の心はどんなであったろう。櫂がしわる時、雫が船縁に滴る時、漕ぐ人の手の動く時毎に吾が命を刻まるる様に思ったであろう。白き髭を胸まで垂れてゆるやかに黒の法衣を纏える人がよろめきながら舟から上がる。これは大僧正クランマーである。青き頭巾を眉深に被り空色の絹の下に鎖帷子をつけた立派な男はワイアットであろう。これは会釈もなく船縁から飛び上がる。はなやかな鳥の毛を帽に挿して黄金作りの太刀の柄に左の手を懸け、銀の留め金にて飾れる靴の爪先を、軽げに石段の上に移すのはローリーか。余は暗きアーチの下を覗いて、向こう側には石段を洗う波の光の見えはせぬかと首を延ばした。水はない。逆賊門とテームズ河とは堤防工事の竣工以来全く縁がなくなった。幾多の罪人を呑み、幾多の護送船を吐き出した逆賊門は昔の名残にその裾を洗う笹波の音を聞く便りを失った。ただ向こう側に存する血塔の壁上に大いなる鉄環が下がっているのみだ。昔は舟のともずなをこの環に繋いだという。

左へ折れて血塔の門にはいる。今は昔バラの乱に目に余る多くの人を幽閉したのはこの塔である。草の如く人をなぎ、鶏の如く人を潰し、乾鮭の如く屍を積んだのはこの塔である。血塔と名をつけたのも無理はない。アーチの下に交番の様な箱があって、そのかたわらに甲形の帽子をつけた兵隊が銃を突いて立っている。頗る真面目な顔をしているが、早く当番を済まして、例の酒鋪で一杯傾けて、一件にからかって遊びたいという人相である。塔の壁は不規則な石を畳み上げて厚く造ってあるから表面は決して滑らかではない。所々に蔦がからんでいる。高い所に窓が見える、建物の大きいせいか下から見ると甚だ小さい。鉄の格子がはまっているようだ。番兵が石像の如く突立ちながら腹の中で情婦とふざけている傍らに、余は眉をあつめ手をかざしてこの高窓を見上げて佇む。格子を洩れて古代の色ガラスに微かなる日影がさし込んできらきらと反射する。やがてけむりの如き幕が開いて空想の舞台がありありと見える。窓の内側は厚き戸張が垂れて昼もほの暗い。窓に対する壁は漆喰も塗らぬ丸裸の石で隣の室とは世界滅却の日に至るまで動かぬ仕切りが設けられている。ただその真ん中の六畳ばかりの場所は冴えぬ色のタペストリでおおわれている。地は納戸色、模様は薄き黄で、裸体の女神の像と、像の周囲に一面に染め抜いた唐草である。石壁の横には、大きな寝台が横たわる。厚樫の心も透れと深く刻みつけたるぶどうと、ぶどうの蔦とぶどうの葉が手足の触れるる場所だけ光を射返す。この寝台の端に二人の小児が見えてきた。一人は十三四、一人は十歳位と思われる。幼き方は床に腰をかけて、寝台の柱に半ば身をもたせ、力無き両足をぶらりと下げている。右のひじを、傾けたる顔と共に前に出して年かさなる人の肩に懸ける。年上なるは幼き人の膝の上に金にて飾れる大きな書物を開げて、そのあけてあるページの上に右の手を置く。象牙を揉んで柔らかにしたる如く美しい手である。二人ともからすの翼を欺くほどの黒き上衣を着ているが色が極めて白いので一段と目立つ。髪の色、眼の色、さては眉根鼻付から衣装の末に至るまで両人共殆ど同じように見えるのは兄弟だからであろう。

兄が優しく清らかな声で膝の上なる書物を読む。

「我が眼の前に、吾が死ぬべき折りの様を想い見る人こそ幸あれ。日毎夜毎に死なんと願え。やがては神の前に行くなる吾の何を恐るる.....」

弟は世に哀れなる声にて「アーメン」と言う。折りから遠くより吹く木枯らしの高き塔を揺るがして一度びは壁も落つるばかりにゴーと鳴る。弟はひたと身を寄せて兄の肩に顔をすり付ける。雪の如く白い蒲団の一部がほかと膨れ返る。兄はまた読み始める。

「朝ならば夜の前に死ぬと思え。夜ならば翌日ありと頼むな。覚悟をこそ尊べ。見苦しき死に様ぞ恥の極みなる....」

弟叉「アーメン」と言う。その声はふるえている。兄は静かに書をふせて、かの小さき窓の方へ歩み寄りて外の面を見ようとする。窓が高くて背が足りぬ。床机を持って来てその上につまだつ。百里をつつむ黒霧の奥にぼんやりと冬の日が写る。屠れる犬の生き血にて染め抜いた様である。兄は「今日もまたこうして暮れるのか」と弟を顧みる。弟はただ「寒い」と答える。「命さえ助けてくるるなら伯父様に王の位を進ぜるものを」と兄が独り言のようにつぶやく。弟は「母様に会いたい」とのみ言う。この時向こうに掛かっているタペストリに織り出してある女神の裸体像が風もないのに二三度ふわりふわりと動く。

忽然舞台が廻る。見ると塔門の前に一人の女が黒い喪服を着て悄然として立っている。面影は青白くやつれてはいるが、どことなく品格のよい気高い婦人である。やがて錠のきしる音がしてぎいと扉が開くと内から一人の男が出て来て恭しく婦人の前に礼をする。「逢うことを許されてか」と女が問う。

「否」と気の毒そうに男が答える。「逢わせまつらんと思えど、公の掟なれば是非なしと諦めたまえ。私の情売るは安き間の事にてあれど」と急に口をつぐみてあたりを見渡す。濠の内からかいつぶりがひょいと浮き上がる。

女はうなじに懸けたる金の鎖を解いて男に与えて「ただ束の間を垣間見んとの願なり。女人の頼み引き受けぬ君はつれなし」と言う。

男は鎖を指の先に巻きつけて思案の体である。かいつぶりはふいと沈む。ややありていう「牢守りは牢の掟を破りがたし。御子等は変わる事なく、すこやかに月日を過ごさせたもう。心安くおぼして帰り給え」と金の鎖を押し戻す。女は身動きもせぬ。鎖ばかりは敷石の上に落ちてそう然と鳴る。
「如何にしても逢う事は叶わずや」と女が尋ねる。
「お気の毒なれど」と牢守が言い放つ。
「黒き塔の影、固き塔の壁、寒き塔の人」と言いながら女はさめざめと泣く。

舞台がまた変わる。

丈の高い黒装束の影が一つ中庭の隅にあらわれる。苔寒き石壁の中からスーと抜き出た様に思われた。夜と霧との境に立ってもうろうとあたりを見回す。しばらくすると同じ黒装束の影がまた一つ陰の底から湧いて出る。櫓の角に高くかかる星影を仰いで「日は暮れた」と背の高いのが言う。「昼の世界に顔は出せぬ」と一人が答える。「人殺しも多くしたが今日程寝覚めの悪い事はまたとあるまい」と高き影が低い方を向く。「タペストリの裏で二人の話を立ち聞きした時は、いっその事止めて帰ろうかと思うた」と低いのが正直に言う。「絞める時、花の様な唇がぴりぴりとふるうた」「透き通る様な額に紫色の筋が出た」「あの唸った声がまだ耳に付いている」。黒い影が再び黒い夜の中に吸い込まれる時櫓の上で時計の音ががあんと鳴る。

空想は時計の音と共に破れる。石像の如く立っていた番兵は銃を肩にしてコトリコトリと敷石の上を歩いている。歩きながら一件と手を組んで散歩する時を夢見ている。

血塔の下を抜けて向こうへ出ると綺麗な広場がある。その真中が少し高い。その高い所に白塔がある。白塔は塔中の尤も古きもので昔の天主である。竪二十間、横十八間、高さ十五間、壁の厚さ一丈五尺、四方に角櫓が聳えて所々にはノルマン時代の銃眼さえ見える。千三百九十九年国民が三十三カ条の非を挙げてリチャード二世に譲位を迫ったのはこの塔中である。僧侶、貴族、武士、法士の前に立って、彼が天下に向かって譲位を宣告したのはこの塔中である。その時譲りを受けたるヘンリーは起って十字を額と胸に画して言う「父と子と聖霊の名によって、我ヘンリーはこの大帝国の王冠と御代とを、わが正しき血、恵みある神、親愛なる友の助けを借りてつぎ受く」と。さて先王の運命は何人も知る者がなかった。その死骸がポント・フラクト城より移されてセントポール寺に着した時、二万の群衆は彼の屍をめぐってその骨立せる面影に驚かされた。或者は天を仰いで言う「あらずあらず。リチャードは断食をして自らと、命の根を絶たれたのじゃ」と。何れにしてもありがたくない。帝王の歴史は悲惨の歴史である。

階下の一室は昔ウォルター・ロリーが幽囚の際万国史の草を記した所だと言い伝えられている。彼がエリザ式の半ズボンに絹の靴下を膝頭で結んだ右足を左の上へ乗せてがペンの席を紙の上へ突いたまま首を少し傾けて考えている所を想像してみた。しかしその部屋は見ることが出来なかった。

南側から入って螺旋状の階段を上がるとここに有名な武器陳列場がある。時々手を入れるものと見えて皆ぴかぴか光っている。日本に居ったとき歴史や小説でお目にかかるだけで一向要領を得なかったものがいちいち明瞭になるのは甚だ嬉しい。しかし嬉しいのは一時の事で今ではまるで忘れてしまったからやはり同じ事だ。只なお記憶に残っているのが甲冑である。その中でも実に立派だと思ったのは確かヘンリー六世の着用したものと覚えている。全体が鋼鉄製で所々に象嵌がある。尤も驚くのはその偉大な事である。かかる甲冑を着けたものは少なくとも身の丈七尺位の大男でなくてはならぬ。余が感服してこの甲冑を眺めているとコトリコトリと足音がして余のそばへ歩いて来るものがある。振り向いてみるとビーフ・イーターである。ビーフ・イーターと言うと始終牛でも食っている人の様に思われるがそんなものではない。彼は倫敦塔の番人である。シルクハットを潰したような帽子を被って美術学校の生徒のような服をまとっている。太い袖の先をくくって腰の所を帯でしめている。服にも模様がある。模様は蝦夷人の着るはんてんについている様な頗る単純の直線を並べて角形に組み合わしたものに過ぎぬ。彼は時として槍をさえ携えることがある。穂の短い柄の先に毛の下がった三国志にでも出そうな槍をもつ。そのビーフ・イーターの一人が余の後ろに止まった。彼は余り背の高くない、肥り肉の白髭の多いビーフ・イーターであった。「あなたは日本人ではありませんか」と微笑しながら尋ねる。余は現今の英国人と話をしている気がしない。彼が三四百年の昔から一寸顔を出したか又は余が急に三四百年の古を覗いたような感じがする。余は黙して軽くうなずく。こちらへ来たまえと言うからついて行く。彼は指を以て日本製の古き具足を指して、見たかと言わぬばかりの眼付をする。余はまた黙ってうなずく。これは蒙古よりチャールズ二世に献上になったものだとビーフ・イーターが説明をしてくれる。余は三たびうなずく。

白塔を出てボーシャン塔に行く。途中に分捕りの大砲が並べてある。その前の所が少しばかり鉄柵で囲い込んで、鎖の一部に札が下がっている。見ると仕置き場の跡とある。二年も三年も長いのは十年も日の通わぬ地下の暗室に押し込められたものが、ある日突然地上に引き出さるるかと思うと地下よりもなお恐ろしきこの場所へ只*えらるる為であった。久しぶりに青天を見て、やれうれしやと思う間もなく、目がくらんで物の色さえ定かには眸中に写らぬ先に、白き斧の刃がひらりと三尺の空を切る。流れる血は生きているうちから既に冷たかったであろう。鳥が一ぴき下りている。翼をすくめて黒いくちばしをとがらせて人を見る。百年碧血の恨みが凝って化鳥の姿となって長くこの不吉な地を守る様な心地がする。吹く風に楡の木がざわざわと動く。見ると枝の上にも鳥が居る。しばらくすると叉一羽飛んでくる。どこから来たか分からぬ。傍に七つばかりの男の子を連れた若い女が立って鳥を眺めている。ギリシャ風の鼻と、珠を溶いた様にうるわしい目と、真っ白な首筋を形づくる曲線のうねりとが少なからず余の心を動かした。子供は女を見上げて「からすが、からすが」と珍しそうに言う。それから「からすが寒そうだから、パンをやりたい」とねだる。女は静かに「あのからすは何にも食べたがっていやしません」と言う。子供は「なぜ」と聞く。女は長いまつげの奥に漂っている様な目でからすを見つめながら「あのからすは五羽居ます」といったぎり子供の問いには答えない。何か独りで考えているかと思わるる位澄ましている。余はこの女とこのからすの間に何か不思議の因縁でもあるはせぬかと疑った。彼はからすの気分をわが事の如くに言い、三羽しか見えぬからすを五羽居ると断言する。あやしき女を見捨てて余は独りボーシャン塔にはいる。

倫敦塔の歴史はボーシャン塔の歴史であって、ボーシャン塔の歴史は悲惨の歴史である。十四世紀の後半にエドワード三世の建立にかかるこの三層塔の一階室に入るものはその入るの瞬間に於いて、百代の遺恨を結晶したる無数の記念を周囲の壁上に認むるであろう。すべての恨み、すべての憤り、すべての憂いと悲しみとはこの怨、この憂いと悲の極端より生ずる慰籍と共に九十一種の題辞となって今になお見る者の心を寒からしめている。冷ややかなる鉄筆に無情の壁を彫ってわが不運と定業とを天地の間に刻み付けたる人は、過去という底なし穴に葬られて、空しき文字のみいつまでも娑婆の光を見る。彼等は強いて自らを愚弄するにあらずやと怪しまれる。世に反語というがある。白というて黒を意味し、小と唱えて大を思わしむ。すべての反語のうち自ら知らずして後世に残す反語程猛烈なるはまたと有るまい。墓碣と言い、記念碑と言い、賞牌と言い、授章と言いこれらが存在する限りは、空しき物質に、ありし世を偲ばしむるの具となるに過ぎない。われは去る、われを伝うるものは残ると思うは、去るわれを傷ましむる媒介物の残る意にて、われその者の残る意にあらざるを忘れたる人の言葉と思う。未来の世まで反語を伝えて泡沫の身を嘲る人のなす事と思う。余は死ぬときに辞世も作るまい。死んだ後は墓碑も建ててもらうまい。肉は焼き骨は粉にして西風の強く吹く日大空に向かってまき散らしてもらおうなどといらざる取り越し苦労をする。

題辞の書体は固より一様ではない。あるものはひまに任せてていねいな楷書を用い、あるものは心急ぎてかくやし紛れかがりがりと壁を掻いて殴り書きに彫りつけてある。またあるものは自家の紋章を刻み込んでその中に古雅な文字をとどめ、或いは盾の形を描いてその内部に読み難き句を残している。書体の異なる様に言語もまた決して一様ではない。英語は勿論の事、イタリア語もラテン語もある。左側に「我が望みはキリストにあり」と刻されたのはパスリュという坊様の句だ。このパスリュは千五百三十七年に首を斬られた。その傍らにJOHAN DECKERと言う署名がある。デッカーとは何者だかわからない。階段を上がっていくと戸の入り口にT.C.というのがある。これも頭文字だけで誰やら見当がつかぬ。それから少し離れて大変綿密なのがある。まず右の端に十字架を描いて心臓を飾り付け、その脇に骸骨と紋章を彫り込んである。少し行くと盾の中に下の様な句を書き入れたのが目につく。「運命は空しく我をして心なき風に訴えしむ。時もくだけよ。わが星は悲しかれ、われにつれなかれ」。次には「すべての人を尊べ。衆生をいつくしめ。神を恐れよ。王を敬え」とある。

こんなものを書く人の心の中はどの様であったろうと想像してみる。およそ世の中に何が苦しいと言って所在のない程の苦しみはない。意識の内容に変化のない程の苦しみはない。使える身体は目に見えぬ縄で縛られて動きのとれぬ程の苦しみはない。生きるというは活動しているという事であるに、生きながらこの活動を抑えられるるのは生という意味を奪われたると同じ事で、その奪われたを自覚するだけが死よりも一層の苦痛である。この壁の周囲をかくまでに塗抹した人々は皆この死よりも辛い苦痛をなめたのである。忍ばるる限り堪えらるる限りはこの苦痛と戦った末、居てもたってもたまらなくなった時、初めて釘の折や鋭き爪を利用して無事の内に仕事を求め、太平の裏に不平を洩らし、平地の上に波乱を描いたものであろう。彼等が題せる一字一画は、号泣、涕涙、その他すべての自然の許す限りの排悶的手段を尽くしたる後なお飽く事を知らざる本能の要求に余儀なくせられたる結果であろう。

また想像してみる。生まれてきた以上は、生きなければならぬ。敢えて死を恐るるとは言わず、ただ生きねばならぬ。生きねばならぬと言うは耶蘇孔子以前の道で、また耶蘇孔子以後の道である。何の理屈もいらぬ、ただ生きたいから生きねばならぬのである。すべての人は生きねばならぬ。この獄に繋がれたる人もまたこの大道に従って生きねばならなかった。同時に彼等は死ぬべき運命を眼前に控えておった。如何にせば生き延びらるるだろうかとは時々刻々彼等の胸裏に起こる疑問であった。一度びこの部屋に入るものは必ず死ぬ。生きて天日を再び見たものは千人に一人しかない。彼等は遅かれ早かれ死なねばならぬ。されど古今にわたる大真理は彼等に教えて生きよと言う、あくまでも生きよと言う。彼等はやむを得ず彼等の爪を磨いた。尖がれる爪の先を以て堅き壁の上に一と書いた。一をかける後も真理は古の如く生きよとささやく、飽くまでも生きよとささやく。彼等は剥がれたる爪のいゆるを待って再び二と書いた。斧の刃に肉飛び骨砕ける明日を予期した彼等は冷ややかなる壁の上にただ一となり二となり線となり字となって生きんと願った。壁の上に残る横縦の傷は生を欲する執着の魂魄である。余が想像の糸をここまでたぐって来た時、室内の冷気が一度に背の毛穴から身の内に吹き込む様な感じがして覚えずぞっとした。そう思って見るとなんだか壁が湿っぽい。指先でなでてみるとぬらりと露にすべる。指先を見ると真っ赤だ。壁の隅からぽたりぽたりと露の珠が垂れる。床の上を見るとその滴りの痕があざやかな紅の紋を不規則に連ねる。十六世紀の血がにじみ出したと思う。壁の奥の方からうなり声さえ聞こえる。うなり声が段々と近くなるとそれが夜を洩るるすごい歌と変化する。ここは地面の下に通ずる穴倉でその内には人が二人居る。鬼の国から吹き上げる風が石の壁の割れ目を通ってささやかなカンテラを煽るから只さえ暗い室の天井も四隅も煤色の油煙で渦巻いて動いている様に見える。かすかに聞こえた歌の音は窖中にいる一人の声に違いない。歌の主は腕を高くまくって、大きな斧をろくろの砥石にかけて一生懸命に磨いている。そのそばには一挺の斧が投げ出してあるが、風の具合でその白い刃がぴかりぴかりと光る事がある。他の一人は腕組みをしたまま立って砥のまわるのを見ている。髭の中から顔が出ていてその半面をカンテラが照らす。照らされた部分が泥だらけの人参のような色に見える。「こう毎日のように舟から送ってきては、首斬り役も繁盛だのう」と髭が言う。「そうさ、斧を磨くだけでも骨が折れるわ」と歌の主が答える。これは背の低い目のくぼんだ煤色の男である。「昨日は美しいのをやったあ」と髭が惜しそうにいう。「いや顔は美しいが首の骨は馬鹿に堅い女だった。お陰でこの通り刃が一分ばかりかけた」とやけにろくろと転ばす。シュシュシュと鳴る間から火花がピチピチと出る。磨き手は声を張り上げて歌い出す。

   切れぬ筈だよ女の頚は恋の恨みで刃が折れる。

シュシュシュと鳴る音の外には聞こえるものもない。カンテラの光が風に煽られて磨き手の右の頬を射る。煤の上に朱を流した様だ。「明日は誰の番かな」とややありて髭が質問する。「明日は例のばあさまの番さ」と平気に答える。

   生える白髪を浮気が染める、首を斬られりゃ血が染める。

と高調子に歌う。シュシュシュとろくろが回る、ピチピチと火花が出る。「アハハハもう善かろう」と斧を振りかざして灯影に刃を見る。「ばあさまぎりか、外に誰も居ないか」と髭がまた問をかける。「それから例のがやられる」「気の毒な、もうやるか、可哀想にのう」といえば、「気の毒じゃが仕方がないわ」と真っ黒な天井を見てうそぶく。

たちまち穴も首斬りもカンテラも一度に消えて余はボーシャン塔の真ん中に茫然と佇んでいる。ふと気がついて見るとそばにさっきからすにパンをやりたいと言った男の子が立っている。例の怪しい女ももとの如くついている。男の子が壁を見て「あそこに犬がかいてある」と驚いた様に言う。女は例の如く過去の権化というべき程のきっとした口調で「犬ではありません。左が熊、右が獅子でこれがダッドレー家の紋章です。」と答える。実のところ余も犬か豚だと思っていたのであるから、今この女の説明を聞いて、益々不思議な女だと思う。そういえばダッドレーと言ったときその言葉の内に何となく力がこもって、あたかも己の家名でも名乗った如くに感ぜらるる。余は息を凝らして両人を注視する。女はなお説明を続ける。「この紋章を刻んだ人はジョン・ダッドレーです」あたかもジョンは自分の兄弟の如き語調である。「ジョンには四人の兄弟があって、その兄弟が、熊と獅子の周りに刻みつけられてある草花でちゃんと分かります」見るとなるほど四通りの花だか葉だかが油絵の枠のように熊と獅子を取り巻いて彫ってある。「ここにあるのはAcornsでこれはAmbroseの事です。こちらにあるのがRoseでRobertを代表するのです。下の方に忍冬が描いてありましょう。忍冬はHoneysuckleだからHenryに当たるのです。左の上にかたまっているのがGeranium でこれはG・・・」と言ったきり黙っている。見ると珊瑚のような唇が電気でもかけたかと思われるまでにぶるぶると震えている。まむしがねずみに向かったときの舌の先の如くだ。しばらくすると女はこの紋章の下に書き付けてある題辞を朗らかに誦した。

   Yow that the beasts do wel behold and se,
   May deme with ease wherefore here made they be
   Withe borders wherein ・・・・・・・・・・・・・
   4 brothers' names who list to serche the grovnd.

女はこの句を生まれてから今日まで毎日日課として暗唱した様に一種の口調を以て誦しおわった。実を言うと壁にある字は甚だ見にくい。余の如きものは首を捻っても一字も読めそうにない。余は益この女を怪しく思う。

気味が悪くなったから通り過ぎて先へ抜ける。銃眼のある角を出ると滅茶苦茶に書き綴られた、模様だか文字だか分からない中に、正しき画で、小く「ジェーン」と書いてある。余は覚えずその前に立ち留まった。英国の歴史を読んだものでジェーン・グレーの名を知らぬものはあるまい。またその薄命と無残の最後に同情の涙をそそがぬ者はあるまい。ジェーンは義父と夫の野心のために十八年の春秋を罪なくして惜気もなく刑場に売った。踏みにじられたるバラのしべより消え難き香の遠く立ちて、今に至るまで史をひもとく者をゆがしがらせる。ギリシア語を解しプレートーを読んで一代の碩学アスカムをして舌を巻かしめたる逸事は、この詩趣ある人物を想見するの好材料として何人の脳裏に保存せらるるであろう。余はジェーンの名の前に立留まったきり動かない。動かないと言うより寧ろ動けない。空想の幕は既にあいている。

始めは両方の目が霞んで物が見えなくなる。やがて暗い中の一点にパッと火が点ぜられる。その火が次第次第に大きくなって内に人が動いている様な心持ちがする。次にそれが段々明るくなって丁度双眼鏡の度を合わせる様に判然と眼に映じてくる。次にその景色が段々大きくなって遠方から近づいてくる。気がついて見ると、真中に若い女が座っている、右の端には男が立っている様だ。両方共どこかで見た様だなと考えるうち、またたく間にズッと近づいて余から五六間先ではたと止まる。男は前に穴倉の裏で歌を歌っていた、眼のくぼんだ煤色をした、背の低い奴だ。磨きすました斧を左手に突いて腰に八寸ほどの短刀をぶら下げて身構えて立っている。余は覚えずギョッとする。女は白きハンカチで目隠しをして両の手で首を載せる台を探す様な風情に見える。首を載せる台は日本の薪割り台位の大きさで前に鉄の環がついている。台の前部にわらが散らしてあるのは流れる血を防ぐ用心と見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き崩れている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した法衣を裾長く引く坊さんが、うつむいて女の手を台の方角へ導いてやる。女は雪の如く白い服を着けて、肩にあまる金色の髪を時々雲の様に揺らす。ふとその顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、眉の形、細き面、なよやかなる頚の辺りに至るまで、さっき見た女そのままである。思わず駆け寄ろうとしたが足が縮んで一歩も前に出ることが出来ぬ。女はようやく首斬り台を探し当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く。最前男の子にダッドレーの紋章を説明したときと寸分違わぬ。やがて首を少し傾けて「わが夫ギルフォード・ダッドレーは既に神の国に行ってか」と聞く。肩を揺り越した一握りの髪が軽くうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだ真との道に入りたもう心はなきか」と問う。女きっとして「まこととは吾と吾が夫の信ずる道をこそ言え。御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何も言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾が夫が先なら追い付う、後ならば誘うて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と言い終わって落つるが如く首を台の上に投げかける。眼のくぼんだ、煤色の、背の低い首斬り役が重たげに斧をエイと取り直す。余のズボンの膝に二三点の血がほとばしると思ったら、すべての光景が忽然と消え失せた。

あたりを見回すと男の子を連れた女はどこへ行ったか影さえ見えない。狐に化かされたような顔をして茫然と塔を出る。帰り道に叉鐘塔の下を通ったら高い窓からガイフォークスが稲妻の様な顔を一寸出した。「今一時間早かったら・・・この三本のマッチが役に立たなかったのは実に残念である」と言う声さえ聞こえた。自分ながら少々気が変だと思ってそこそこに塔を出る。塔橋を渡って後ろを顧みたら、北の国の例かこの日もいつの間にやら雨となっていた。糠粒を針の目からこぼす様な細かいのが満都の紅塵と煤煙を溶かしてもうもうと天地を鎖す裏に地獄の影の様にぬっと見上げられたのは倫敦塔であった。

無我夢中に宿に着いて、主人に今日は塔を見物してきたと話したら、主人がからすが五羽いたでしょうと言う。おやこの主人もあの女の親類かなと内心大いに驚くと主人は笑いながら「あれは奉納のからすです。昔からあそこに飼っているので、一羽でも数が不足すると、すぐあとをこしらえます、それだからあのからすはいつでも五羽に限っています」と手もなく説明するので、余の空想の一半は倫敦塔を見たその日のうちに打ち壊されてしまった。余は叉主人に壁の題辞の事を話すと、主人は無造作に「ええあの落書きですか、つまらない事をしたもんで、折角綺麗な所を台無しにしてしまいましたねえ、なに罪人の落書きだなんて当てになったもんじゃありません、ニセも大分あるまさあね」と澄ましたものである。余は最後に美しい婦人に逢った事とその婦人が我々の知らない事や到底読めない字句をすらすら読んだ事などを不思議そうに話し出すと、主人は大いに軽蔑した口調で「そりゃ当たり前でさあ、皆んなあそこへ行く時にゃ案内記を読んで出かけるんでさあ、その位の事を知ってたって何も驚くにゃあたらないでしょう、何頗るべっぴんだって?_倫敦にゃ大分べっぴんが居ますよ、少し気をつけないと剣呑ですぜ」と飛んだ所へ火の手が上がる。これで余の空想の後半が叉打ち壊された。主人は二十世紀の倫敦人である。

それからは人と倫敦塔の話をしない事に極めた。叉再び見物に行かない事に極めた。


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