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前書き
近代日本文学の代表的な作家は誰かと日本人に聞いたとしよう。個人的な好き嫌いは別として、十人中九人が夏目漱石の名をあげるだろう。もし漱石を近代日本文学から切り離して論ずるのが困難だとすれば、彼なしに日本文学史を語ることは不可能と言ってもよいだろう。事実、漱石は近代文学史上最も重要な作家の一人であるばかりでなく、真に「国家的な」作家の一人として広く受け入れられている。しかし、日本では彼の作品は近代の古典としてすぐれた評価を受けているが、海外では彼の作品と名前は一握りの専門家たちにしか知られていない。実際、彼の作品は様々な西洋の言葉に翻訳されているが、批評家たちから賞賛を受けたり、多くの読者を獲得するという状態にはいまだ至っていない。とくに漱石より新しい日本の作家たちが、外国で多くの読者を得たり、好意的な批評を受けているこの時代にあって、日本での漱石の揺るぎない地位を考えると、この状況は確かにおかしな現象である。これは、よく指摘されるように、漱石の作品が翻訳によってそのよさが大いに損なわれるといった種類の作品だからだろうか。
私はそうは思わない。もし正しく理解されるならば、漱石の作品は世界文学の中に確固たる地位を占めることができるだろう。読者の中には、この正しい理解のためには、伝記的な研究が論理的で適切なアプローチだと思う人も多いかもしれない。しかし、私は現状を考慮した上で、もう少し違うアプローチをとることにした。日本には漱石に関してすでに多くの、おそらくは多すぎるほどの伝記的研究書がある。内容については賛否両論があるにせよ、漱石研究者にとって必読の、小宮教授による三巻におよぶ権威ある研究書もそのうちの一つだ。だから、少なくとも私にとっては、この研究書の山にもう一冊伝記を積み重ねたところでまったく意味のないことに思えるのだ。私が伝記的アプローチを避けた理由はこれだけではない。もう一つの理由は、漱石が遅咲きの作家で、作品のすべてが彼の生涯の最後の十年間に生み出されたという事実だ。小宮教授の研究書で漱石の作家活動に関する記述が出てくるのは、やっと第二巻の中程になってからだ。三つ目の理由は、漱石はもとより、日本近代文学の複雑な状況に詳しくない西洋の読者には、日本人にあたりまえの知識もないものと考えるのが妥当だということだ。いろいろ考えた末、私は次のような順序で話を進めることにした。導入の章では明治の文学と漱石が小説家としてデビューするまでの経歴を説明する。そうすれば読者は、漱石が生きていた時代の知的・文化的背景に関してある程度の知識を持つことになる。次の五章はほぼ年代順に並べてあるが、必要に応じて作品のテーマと構成上の展開に即して作品を分類してある。さらに、それぞれの分類の枠内で、まず個々の作品をそれまでに書かれた作品と関連づけてとらえ、次に内容を要約し、最後にテーマと手法を論じることにした。第七章にあたる最後の結論の章では、漱石の業績の意味を考えながら、彼の芸術活動を彼の人生と関連づけて考察し、日本と世界の文学の中での彼の位置を決定することを試みた。
近代日本文学作家の中で漱石ほど多くの研究書の出ている作家はほかにはいない。すでに彼に関する書籍の図書館ができているほどだ。それに加え、毎年新しい本が出る。その理由の一つは、漱石がたくさんの側面を持っていることだ。長編小説家である上に、短編や小品も書き、多くの手紙・日記、そのほか細々した短文を残し、さらに話上手な講演家でもあった。さらに、随筆も書き、批評家、俳人、絵描き、そして立派な学者でもあった。(最近発行された岩波版漱石全集は三十六巻からなる。)現在の研究家たちは、漱石をもっぱら小説家としてあつかっているが、その理由の一つは、漱石自身がそう見なされたいと望んだことだ。もう一つの理由は、たくさんの才能を持っていた漱石が、個々の才能に引きずられて支離滅裂になることなく、自分のすべての才能を一点に集中させることができたのは小説においてであったことだ。今回の私の研究においても漱石の小説に焦点をあてた。先にあげた全体構成にあるように、まず個々の作品を、次にグループ毎の作品を、そして最後に全体をまとめて、というように批評的考察を進めていきたい。
それと同時に、これまでの研究者たちによる充分な研究がなされていない、次の三点についてもスポットライトをあてるつもりだ。その第一点は、近代日本で最初のプロの小説家として、漱石のデビューが遅かったことの意味だ。漱石は小説家としてデビューする前、もしかすると全く別の人生を送ることになったかもしれない数々の紆余屈折を経験している。つまり、そうしたければ才能あふれる俳人にも、卓越した研究者にも、あるいは偉大な好事家にすらなれたかもしれないのだ。しかし、そのような選択の余地があったにもかかわらず、また彼の個人的な好みから言えば別の道をとりたかったに違いないのに、それらの中で最も厳しい、しかし一番価値のある道、すなわち明治の日本におけるプロの小説家という道を彼は選んだ。私が新たに焦点をあてたいと思っている二つ目の点は、日本文学の発展への彼の貢献の意味するところだ。日本の小説の芸術としての成長を助け、それに知的下地を与えたのは漱石だった。第三の点は、近代日本と東洋の創造的精神に与えた西洋文学の影響の典型的な例としての漱石の意味するところだ。あの日本文学史上特別な時代に、小説家という不安定な職業に就くために、将来の約束された大学での学究生活を振り捨てた漱石は、斉藤教授の言うように、日本で最も偉大な英文学の学生だったと言える。漱石の選択を残念に思う向きもあるようだが、彼は学究生活中も奨学金のほとんどすべてを、自分の芸術的才能を豊かにするために使うことができたという事実を忘れてはならない。オカザキ・ヨシエが彼の著書「明治時代の日本文学」の中で指摘したように、日本(一般的に言うなら東洋)と西洋との豊かな結合のシンボル的な芸術を生み出した漱石は、自分の頭は半分日本人で半分西洋人であると自ら述べている。西洋文学の背景がなければ、漱石の芸術は今あるものとは全く違ったものになっていたことだろう。一方、キーン教授は最近、次のように述べている。「夏目の作品はいまだに日本人を楽しませている。それは主に彼の美しい文体に負うところが多いが、西洋の読者は、夏目が生み出す東洋的な静けさが、読者の心を奪うだけの充分な力を持たないと感じるかもしれない」私はキーン教授とオカザキ氏の指摘を心に留め、漱石の作品を漱石の比較研究し、そして、彼の作品に対する西洋の読者の反応を喚起する方法を探ってみたい。と同時に、この研究によって、現在の漱石研究になにがしかの貢献ができればと願っている。
この数年間の増大する東洋と西洋の間の相互理解のバランスは、圧倒的に日本側に傾いている。つまり、日本文化のさまざまな側面を学術的に、あるいは大衆レベルで研究、紹介することが盛んに行われている。これは、社会科学者たちにとって日本が取り尽くせない狩猟の地であることが明確になったためだ。しかし、どういう訳か文学の分野に関してはいまだ世界的な注目を浴びるに至っていない。最近になって、現代の日本人作家の翻訳作品が西洋の文学市場に数多く見られるようになったとは言え、誰の目にも明らかな根本的な欠陥が正されるまででさえ、まだかなりの時間がかかるだろう。その欠陥の一つは、文学がごく少数の専門家の手によって生み出されているという現状だ。彼らの手から文学を取り戻さなくてはいけない。いかなる国の文学でも、本質的には全世界の一部に資するのだから、それをまるで異国の珍しい風景のように扱うことは間違っている。文学はなによりもまず、人種的・国家的・文化的境界のない芸術として扱わなければならない。外国の文学がそのような扱いを受けるようになるのはまだずっと先のことだろう。今のところは、この私の研究が、幾分かでも漱石の文学を世界の文学の一部とする助けとなればと願うのみだ。晩年近く、漱石は自分の作品をアメリカで出版しようとしていた友人の一人に次のように語っている。「悪いがアメリカ人に読まれたいと思う作品は一つもない」私は今回の研究で、漱石のこの言葉が間違っていたことを証明できたらと思う。
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