『漱石研究』 目次に戻る
:第一章 はじめに:歴史的遺産
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年譜
一八六七年 二月九日 夏目金之助(ペンネーム漱石)、
日本の江戸(現在の東京)にて誕生。生後まもなく乳母に預けられる。
一八六八年 塩原家の養子となる。
一八七四〜一八七八年 東京の初等学校へ通う。
一八七六年 養父母の離婚後、養母と共に生家に戻るが、塩原の姓を名乗り続ける。
一八七八〜一八八四年 東京で中等学校に通学。中国の古典と英語を学ぶ。
一八八一年 実母没。
一八八四〜一八九〇年 第一高等学校(大学予備門)に通学。英語専攻。
一八八八年 夏目の姓に戻る。
一八八九年 ペンネームとして漱石の名を始めて使用。
一八九〇〜一八九三年 東京帝国大学に通学。英文学専攻。
一八九二年 老子について書く。「哲学雑誌」の編集員となり、ホイットマンについて執筆。
一八九三年 英詩における自然の概念について講演。大学院に進学。
東京高等師範学校の講師となる。
一八九四〜一八九五年 鎌倉の禅寺で数週間を過ごす。
一八九五年 松山の中学教諭に就任。俳句を作る。
一八九六〜一九〇〇年 熊本の第五高等学校で教職を勤める。
一八九六年 中根鏡子と結婚。
一九〇〇〜一九〇二年 英語を学ぶために英国に派遣される。ロンドンに滞在。
一九〇三年 日本へ帰国。第一高等学校と東京帝国大学の講師となる。
東京帝国大学で英文学についての一連の講演を開始。
一九〇五年 「ホトトギス」に「吾輩は猫である」を発表。
一九〇六年 最初の短編集「漾虚集」を発表。「吾輩は猫である」連載終了。
自宅で「木曜会」の第一回目の会合を開く。
読売新聞社からの仕事の申し出を断る。
一九〇七年 二つ目の短編集「うずらかご」を発表。
朝日新聞に連載小説掲載の仕事を受諾。
大学を辞職。講演「文芸の哲学的基礎」。
最初の新聞連載小説「虞美人草」連載。
一九〇八年 「抗夫」連載。講演「小説家の態度」。「三四郎」連載。
一九〇九年 個人的な随筆集「永日小品」連載発表。
「それから」が「太陽」の現代作家名家投票で一位に選ばれる。
一九一〇年 「門」連載。修善寺でひどい潰瘍の発作に襲われる。
「思い出す事など」連載。
一九一一年 政府からの文学博士号授与の申し出を断る。
講演旅行中、潰瘍の発作に悩まされる。
痔の治療を受ける。五番目の子供、ひな子死亡。
一九一二年 「彼岸過迄」連載。再び痔の治療を受ける。水彩画を試みる。
孤独について不満を述べる。「行人」連載開始。
一九一三年 中断の後「行人」連載終了。講演「模倣と独立」。
一九一四年 「こころ」連載。四度目の潰瘍の発作に襲われる。講演「私の個人主義」。
一九一五年 「硝子戸の中」連載。京都旅行。旅行中、新たな潰瘍の発作に襲われる。
一九一六年 糖尿病の治療を受ける。「明暗」の連載開始。
最後の潰瘍の発作の後、十二月九日、死亡。
東京の雑司ヶ谷墓地に埋葬される。
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