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:第二章 いらだちの日々(1903-1907年)
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第一節
ロンドンから帰国した漱石は東京へ戻り、ともに母校である第一高等学校と東京帝国大学で英文学を教え始めた。それは彼の期待に反することではあったが、同時に安堵をももたらした。というのは、東京に職を見つけたことで、熊本に戻るより、文学活動の中心である東京にとどまりたいという漱石の個人的な願いがかなえられた一方、このことはまた、「十年計画」へ全力投球しようという漱石の新たな決意の実行を妨げるものでもあった。しかし、子供がまた増えた一家を養わなければならなかった漱石に選択の余地はなかった。とくに、その後四年間教鞭をとることになる帝国大学では、ラフカディオ・ハーンの後任のはじめての日本人教師ということもあって、その地位は微妙であり、同時に困難なものでもあった。その理由は、高名なハーンの後を継いだこと、漱石の文学へのアプローチが論理的、分析的で、ハーンの直観的、解説的なアプローチと対象的であったこと、また漱石がハーンの詩的雄弁さに欠いていたことなどだが、それに加えて、学生たちの側に、漱石の講義を吸収する下地ができていなかったという事情もあった。
四年に渡って続いた漱石の講義は、「英文学形式論」(一九〇三年四月から六月)、「文学論」(一九〇三年九月から一九〇五年六月)、「文学評論」(一九〇五年九月から一九〇七年三月)の三部からなっていた。これらの講義、とくに最初の二つの講義が、ロンドン滞在中に書き貯めた膨大な量のノートをもとに行われたことはまず間違いない。漱石はそれらのメモに、文学の本質に迫る徹底的な分析の結果を加え、当時の日本の文学界の混乱を解明しようとした。
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