『漱石研究』 目次に戻る :第二章 いらだちの日々(1903-1907年) :第一節 :

「文学評論」

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 これまでの二つの講義を漱石による文学の客観性の探求とすると、「文学評論」という題の本にまとめられた最後の講義は、それまでに論じてきた文学の原則を応用して、十八世紀の英文学を実際に分析したものと言える。その長い序言で、漱石はまず、十分に準備ができなかったことを詫びているが、準備不足どころか、序言ですでに、講義を始めるにあたって必要な予備的な問題をいくつか提起している。その問題の一つ目は、一般に行われている時代区分が、時間が連続体であるという事実に真っ向から反しているという点。二つ目は、文学と科学は明らかに異なるものだが、文学の批評においても、文学の歴史においても、科学的方法を避けることはできないという点。両者とも、趣味の客観性を前提としているから、少なくとも一部は科学的である。われわれが好んだり嫌ったりするのは、文学作品中に使われている材料ではなく、その材料の配列あるいは組み合わせだ。そして、それらのさまざまな材料のあいだの相互関係は、非常に有機的で客観的だ。文学の歴史が主観主義と客観主義とを合わせ持つというのは、こういった意味からだ。なぜなら、人間の趣味をもとにして、芸術作品を科学的に説明しようとするのが、文学の歴史の研究だからだ。文学に対する態度には三つの種類がある。一つは鑑賞的あるいは主観的態度。もう一つは批評的あるいは客観的態度。最後は両者を組み合わせた批評的・鑑賞的態度だ。漱石が自身の講座で使おうとしていたのは、この三番目の取り組み方だった。この批評的・鑑賞的態度で外国文学に取り組む場合、二通りのやり方があると漱石は論じる。一つは、『言語の障害ということに頓着せず、明瞭も不明瞭も容赦なく、西洋人の意見に合うが合うまいが、顧慮するところなく、なんでも自分がある作品に対して感じたとおりを遠慮なく分析してかかる』態度。つまり、完全に個人的な、独立した立場から文学作品を見る方法だ。もう一つの方法は、『西洋人がその自国の作品に対しての感じおよび分析を諸書からかり集めて、これを諸君の前に陳列して参考に供する』方法。つまり、その情報の価値のあるなしに関わらず、一般に受け入れられている、その作品に関する情報を与える方法だ。漱石はこの二つの方法を組み合わせて、「文学評論」を論じている。漱石によれば、文学の歴史に対するアプローチにも二つの種類がある。一つは、『文学を社会から切り離してまったく独立した現象として論ずる』方法。もう一つは、『社会全体の有様を叙してその全体が動いているなかに自然に文学が織り込まれているようにする』方法だ。どちらの方法にも長所と欠点がある。漱石はここでも両者を組み合わせた方法を用いている。
 序言に続く第二編で、漱石はまず十八世紀の英国の一般的状況を取り上げている。「文学評論」の第二編の章分けは次の通り。(一)十八世紀における英国の哲学、(二)政治、(三)芸術、(四)珈琲店、酒肆(しゅし)および倶楽部、(五)ロンドン、(六)ロンドンの住民、(七)娯楽、(八)文学者の地位、(九)ロンドン以外地方の状況。次に、漱石は英国の新古典主義文学を確立した五人の作家を取り上げている。アディソン、スティール、スウィフト、ポープ、デフォーの五人だ。これらの十八世紀の代表的作家について論ずる中で、漱石は文学批評の主な機能のうち、少なくとも二つの機能を十分に果たしている。その機能とは、個々の作家に独特な個性をつかみ、それと同時に、その作品のもととなる原則を把握することだ。個々の作家に関して、漱石がそれぞれに異なったアプローチをして、作家とその人の生きた時代との関わりに焦点を合わせているのは、このためだ。このような方法により、漱石はアディソンとスティールの作品において常識の色が濃いことを指摘し、次のような三つの常識の解釈に従って分析を試みている。『常識は解釈のしようでいろいろな意味になる。(イ)明解なのも常識の表現である。文章ばかりではない、内容にも豪も不可思議な分子を容れないのである。(ロ)問題が日常に見聞する以外に渉らないで、平時平人の観察で満足しているのも常識である。(ハ)過度を嫌い突飛を忌むのも常識である。』一方、ポープの詩は、時代の風潮の影響を強く受け、過度に人為的なところがある。英国の文学専門家たちのあいだでは彼は巨匠とされているかもしれないが、漱石とって、ポープの作品は詩的才能からはかけ離れたものだった。ポープの詩には知的要素のFは豊富に含まれている(その詩の多くは文学的と言うより実利的で、俗受けする)が、漱石はその原因がポープ個人の性格にあるのか、あるいは時代の影響なのか、と疑問を投げかけている。また、人的要素Fの表現力については、もしポープの才能が時代の影響を受けずに伸ばされたとしたら、彼の作品はまったく違った方向に発展したのではないかと述べている。
 漱石がポープに不満を覚えていたことは明らかだが、その一方、スウィフトには随分と入れ込んでいた。それもそのはずで、当時の漱石は風刺作家として名を上げ始めていた。おそらく漱石もまた、この『風刺世界のジュピター』と同様の気質をもつ人間として親近感を覚えていたのだろう。漱石はこの評論中で、スウィフトの風刺の性格について、これ以上のものはないと言えるほどのたいそう自信に満ちた考察を加えている。漱石の目には、スウィフトの風刺の秘密を解くために伝記をひもとくといったやり方はばかばかしく映った。漱石はスウィフトの伝記の中に登場する「事実」をいくつか例に出し、それらが文学史家の述べる事実とどのように食い違っているかを指摘している。漱石はこのような考察から、風刺はスウィフトの生来の特質であるという結論に達する。つまり、『スウィフトは世の中を見ても、人間を見ても、誰を見ても彼を見ても、皆風刺的に見てしまう人である。彼の風刺は一時的の態度でなくて、彼の一生を貫いた、牢として抜くべからざる生来の性癖である。』道徳家としてのスウィフトは、啓蒙が人間にとって必要不可欠なものであることをよく承知していたが、それだけでは人間は満足しないことも知っていた。しかし、スウィフトはただの道徳家ではなかった。彼の「冷酷な風刺」は道徳の領域を越えたところまで鋭く突き刺さった。だからといって、スウィフトは最初から偉大な風刺家だったわけではない。「桶物語」と「ガリバー旅行記」との相違を見ればそのことは明らかだ。「ガリバー旅行記」の最後の巻におけるスウィフトの態度を、漱石は『感覚が鈍くて無頓着なのではない、感覚が鋭敏すぎるから、無頓着にでもしていなければいたたまれないのである』としている。そしてさらに、『開巻第一頁から最終の頁に至るまで、厳粛な容貌を崩さないで、機械的に風刺を吐出している。これを読むと、彼自身は風刺をしている本人であるか、または風刺を受けている目的物であるか分からぬくらいに、寂然として超越している。それだから彼の罵詈は決して熱のある憤狂性の罵詈でははない。冷えきった氷点以下の罵詈である。彼は風刺世界のジュピターのごとく、冷ややかに、穏やかにかつ厳かにオリンパスの山の頂上に立って、はるかに下界を見下ろしながら、あたかも他界の出来事に対するがごとき同情なき筆をもって人界の事象を描き出している。』
 この評論によって「自分自身の文学的観点を、自ら選んだ作家たちを通して表現する」という漱石の意図が最もはっきり表れているのが、デフォーに関する評だ。ここでの漱石は、デフォー自身と彼が生きた時代との関係を長々と論じることは避け、その代わりにデフォーのフィクション創作の技法の秘密に焦点を合わせている。このことは、そのときまでにフィクション作家としてなにがしかのものを学び、その後まもなく、学職を棒にふってフィクション作家になろうとしていた漱石としては当然のことではある。
 漱石はデフォーの作品が冗漫な印象を与えるのはなぜだろうかと疑問を投げかける。それは読者の側の作品鑑賞力の不足のせいではなく、デフォー自身が本当の芸術的手腕に欠けていたからだ。デフォーはほとんどどの作品においても、登場人物に関するありとあらゆる情報、誕生から死までの生涯の経歴を披露する。このように機械的に与えられた事実の羅列は、外的あるいは『器械的の統一』を生み出すことはできても、フィクションを含むあらゆる芸術作品に不可欠の、内的あるいは『有機的の統一』を生み出すことはできない。デフォーによるこの、芸術と機械的な事実の羅列との混同は、彼の作品の最大の欠点となっている。それは「ロビンソン・クルーソー」、「モール・フランダース」などを読むとよくわかる。
 それでは、長い小説を短く感じさせる秘密はなんだろう。それはわれわれが「興味」と呼んでいるものだ。興味は三つの要素から成り立っている。つまり、『(1)小説中の性格より起こる興味、(2)小説中の事件より起こる興味、(3)小説中の景物より起こる興味』だ。そして、二番目の興味が一番目の興味と密接な関係を持っていればいるほど、『必然の度』が強くなり、二番目の興味が三番目の興味に近づけば近づくほど、『偶然の度』が強くなる。多くの小説は程度の差はあれ、この三つの要素をすべて持っていて、複雑な構成になっている。しかし、すぐれた小説というものには統一が必要だ。この三種類の興味の統一は、『加速度』と『漸移』(発展)と『変化』によって達成される。そして、このようにして生まれた統一の中から、作品のテーマが表れてくるのがすぐれた小説なのだ。デフォーはこの興味の必要性をおざなりにするという失敗を犯している。彼の作品の登場人物は、ロビンソン・クルーソーに見られるように、つねに自然と戦う。しかし、そこに「加速度」はなく、ただ内面的な変化と発展があるのみだ。「モール・フランダース」の場合はもっとひどい。現代人の趣味からすると、デフォーの作品のような小説はまったく時代遅れだ。
 漱石は次に、嵐の場面を例にとって、デフォーとスティーヴンソンの小説作法を比較している。この比較は、二人の作家の興味の相違をはっきりと見せてくれる。デフォーの興味はつねに事実にあり、スティーヴンソンの興味は経過そのものにある。デフォーは決して劇的な表現で人物を表そうとはしない。事実と事柄を並べるという、自分好みのいつもながらの手法を使って説明するのみだ。彼の作品には、発展的な展開を必要とする内面的なドラマ、有機的なドラマはない。彼に対する最大級の賛辞として、多くの批評家が写実派の巨匠の名をデフォーに冠しているが、この内面的ドラマの欠如を考えると、写実派の「作家」と呼ぶことすらできない。つまり、漱石にとってはデフォーは小説家ですらない。正確な事実の伝達者に過ぎない。そして、事実の伝達はそれがいかにすぐれたものであろうと、芸術ではない。漱石に言わせれば、写実という言葉はもっと価値のあるものに冠されるべきなのだ。
 斉藤が漱石を「おそらく日本がこれまでに生み出した最も偉大なる英文学の研究者」と賛した理由の大半は、以上の三つの文学論にある。正宗は漱石を小説家としてはあまり高く評価していないが、「文学評論」の名で一九〇一年に発表された漱石の最後の一連の講義に関して、次のように言っている。『日本人の観察した西洋文学観として、これほど委曲を尽くしたものは、他に類がないだろう。漱石が小説は書かないでも、この調子で、英国各時代の文学史を書残していたなら、もっと有難かった。』一九〇七年に発表された「文学論」については、荒が多少の保留的態度を残しながら、次のように述べている。「漱石はこの本で、心理学的な前提の上に、前人が考えもしなかったユニークな美の哲学を生みだした。このような貢献に対し、われわれは十分な評価を与えるべきである。彼に対するわれわれの尊敬はまた、日本人の著述家にはまれな、執拗さと論理に対する情熱に基づくものでもある。」もちろん、こうした意見とは反対の少数意見もある。たとえば、江藤は「文学論」を「ひどい奇形を持った子供にすぎない。これは学術論文でも、文学的評論でもない」と評し、この「不名誉」な努力の産物の唯一の価値は、文学自体に対する漱石の懐疑的態度にあるとした。しかし、たとえ漱石自身、十年計画の『奇形児の亡骸』と呼んでいるとしても、西洋文学のかかえる基本的問題点に日本人評論家が真正面から真剣に取り組んだ結果として、この三つの講義の持つ比類ない価値は変わらない。

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