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:第二章 いらだちの日々(1903-1907年)
:第二節
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「漾虚集」
漱石の最初の短編集となった「漾虚集」に納められた「倫敦塔」「カーライル博物館」「幻影の盾」「琴のそら音」「一夜」「薤露行」「趣味の遺伝」の七編は、確かに「吾輩は猫である」と同じ作者の頭脳から生み出されたものだが、まったく異なった趣で、ちょっと読んだだけでは同じ人間の手になるものとは信じ難い。この短編集は「吾輩は猫である」が「ホトトギス」に掲載されている間に発表された。このことは、「吾輩は猫である」を書いただけでは漱石自身満足することも、また彼の芸術的個性を十分に発揮することもできなかった証拠と言えるだろう。漱石は偶然に恵まれて「吾輩は猫である」を書き、心の中のいらだち、不満を吐き出す場を与えられた。一方、七つの短編の方は、「吾輩は猫である」とはまったく違うものをつくる芸術的能力が自分にあることを、自分自身と他人に納得させるために、彼自身が望んで書いたものだった。
「吾輩は猫である」も「漾虚集」も共に、著者の博識、芸術趣味、そして創造力の結晶だ。前者においては猫の仮面を借りたために、漱石の想像力は俗世界を離れることなく、物語は身近な人間世界の出来事に限られていた。しかし、後者においては、そのような制約がなかったために、彼の想像力は翼を得、異国情緒やファンタジーを求めて羽ばたいた。前者はリアリズムの上に花開き、後者はロマンチシズムの上に花を咲かせた。一方は散文の精神にのっとり、他方は詩の精神を持っていた。また、一方は現実であり、もう一方は夢。そして、この二つの世界が合わさったとき、はじめて人生は完全なものとなる。
「漾虚集」に納められた七つの短編は習作としての性格が濃く、自然に「産まれた」というより「産み出された」と言うにふさわしい。事実、これらの作品は漱石の頭の中で意識的に入念に練られ、形づけられたものだった。あるときにはおずおずと恥ずかしげに、またあるときは大胆に、漱石の筆の詩的タッチがさまざまな小世界を描き出す。その世界はあるものは現世から遠く離れ、またあるものは読者の世界のすぐそばにある。「倫敦塔」と「カーライル博物館」はもしかするとアーヴィングのThe Sketch Book の中にあるいくつかの小品と似通ったところがあるかも知れないが、実際はロンドンでの漱石の体験にもとづいて書かれている。現在と過去、事実と記憶。それらのあいだの微妙なバランスが、いずれも後者の方、つまり過去、記憶の方へと傾く。その結果、われわれ読者は、「幻影の盾」や「薤露行」に描かれたような、霧に包まれた遠い中世の英国へと誘われる。アーサー王の故事にインスピレーションを得て書かれたこれらの作品は、非常に装飾的な言葉で書かれており、勇気と名誉と愛とが重んじられた古きよき世界が詩情豊かに再現されている。前者は先祖伝来の家宝である盾に対する騎士の信頼と、愛する女への献身とを優雅な愛の物語に織り込んだ作品で、後者はアーサー王の伝説を集大成したマロリーがいくらか「俗っぽく」扱った、ランスロットとグウィネヴィアの物語を、天国と地獄をも包み込む情熱に満ちた性愛の最も純粋な形へと昇華させた作品と言える。この二つの異国の物語の真髄である「愛」は、「琴のそら音」や「趣味の遺伝」の中でも、人間にとっての究極的謎として登場する。これらの作品は先にあげた二作と異なり、ごく普通の近代日本を舞台とし、平凡な散文で書かれている。前者は、幽霊に興味を持つ友人の心理学者の考えに懐疑的で、縁起をかつぐ年老いた女中を軽蔑のまなざしてながめる法学士が、婚約者の安否を気遣って死にかかるまで心配するという苦悩に満ちた体験の物語だ。この物語を愛の形の一つの事例史と考えるなら、「趣味の遺伝」の方はいっそうすぐれた事例史だと言えるだろう。この作品では話し手が、自分の友人とある女性とが互いに一目惚れしたのは、彼らの祖先の実らぬ恋のためだったことを発見する。つまり、遺伝的な愛の事例史だ。しかし、この両作品は事例史としてはおそらく成功と言えるだろうが、物語としてはどちらも成功とは言えない。漱石は空想的なことと世俗的なことを融合させることに関してまだ臆病で、その方法に明らかに確信を持てないでいる。しかし、「一夜」になるとこのような欠点はなくなり、舞台は明らかにこの世俗の世に設定されているのに、別の世界の物語としても成功している。この作品の中に登場するのはたった三人で、一つの部屋にじっと座ったきりだ。彼らには名前はなく、ただ、ひげのある男、ひげのない男、女、とだけ描写される。この作品の成功は、精神的意思疎通によって生じる電気的エネルギーに満たされた雰囲気を作り出すことのみに漱石が専心し、登場人物には、漠然とした詩の世界を支える三脚としての役割しか与えていないことによる。俳句が言葉によって何かを意味することを意図していない、というのが本当で、それがよい俳句の基本条件だとしたら「一夜」はその条件を完全に満たしている。散文で書かれてはいるが、気持ちの上ではこの物語は詩である。
興味深いことに、この七つの短編が発表された時期は、象徴主義が日本へ入ってきた時期と一致する。しかし、この事実だけを見て、漱石が単にこの新しい文学運動に乗じてこれらの作品を書いたと考えるのは早急だ。象徴主義に対する漱石のどちらかというと手厳しい意見と照らし合わせると、このような判断は大きな間違いだと言わざるを得ない。「吾輩は猫である」と比べてみれば、漱石自身が心の底で強く感じていた必要を満たすためにこれらの短編を書いたことは明らかだ。これらの作品と「我輩は猫である」とのあいだのきわだった対照は、近年になって多くの文学評論家によって指摘されるようになった。つまりそこには、漱石自身の精神的な両極性、リアリズムとロマンチシズム、あるいは現実と夢とのあいだの両極性がみごとに表れている。とは言え、「吾輩は猫である」と「漾虚集」との対照を図式的に分析するに際して、「漾虚集」に集められた各作品の間に、あるパターンが顕著に見られることを見逃してはならない。その結果から判断するに、漱石はこの短編集の中で、西洋と東洋の二つのタイプの象徴主義のあいだを揺れ動いているようだ。たとえば、「幻影の盾」と「薤露行」を一方の極に置き、「一夜」をもう一方の極に置いたとすると、「倫敦塔」と「カーライル博物館」は中心あたりに位置し、それに向かい合う形で、「琴のそら音」と「趣味の遺伝が」並ぶことになる。そして、西洋と東洋の二つの象徴主義が交差するところ、つまりちょうどゼロの位置に「吾輩は猫である」を置くことができる。このことは漱石の次のような言葉を裏付けるものでもあろう。「『盾』は私の儀式用の服、『塔』は外出着、『猫』は普段着。」この段階ではまだ、漱石は必要とあればどんな服でも自由に着ることができた。言い替えるなら、漱石はまだ、本当に自分が満足できるものを見つけられないでいたのだ。
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