『漱石研究』 目次に戻る :第三章 決定の瞬間(1907年-1908年) :

新聞社からの申し出

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 一九〇七年二月、当時日本で最大の日刊新聞社であった朝日新聞社から、専属のライターにならないかと誘いがあった。漱石にとって仕事の話はこれがはじめてではなかった。ほんの二、三カ月前にも、京都大学で英文学を教えるという話が来たが、漱石は即座にそれを断っていた。その理由は、いままでと変わらない教職であったことと、文学者としての自分の戦場である東京から離れなければならなかったからだ。その直後、東京のもう一つの大手の日刊新聞社である読売から仕事の話が来た。文学関係コラムを書くという話だったが、漱石はさんざん考えた挙げ句この話も断った。この話は教師としての仕事をやめたいと願っていた漱石にとって魅力のある話ではあったが、心の安定は望めそうになかった。つまり、もしかするとそこで待っているのは文学者たちの派閥の争い、仲間うちのライバル意識や嫉妬といった、どろどろした世界かもしれなかった。それに何といっても漱石は自分自身の作品を書きたかった。他人の作品の批評などではなく、創造的な作品を書きたかった。しかし、朝日の仕事の話は京都大学からの話とも、読売からの話とも違っていた。今度は教職を去って、自分のやりたいことに専心できる。漱石はそう感じた。

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