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:第三章 決定の瞬間(1907年-1908年)
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「虞美人草」
五月の終わり、朝日が漱石の連載小説掲載を発表すると、すぐさま一大センセーションが巻き起こった。漱石は深い意味もなく付けたと言っていたが、予定されている小説の題は心をそそる意味ありげな題で、首都圏のデパートは早速その題に飛びつき、「虞美人草」ドレス、「虞美人草」リング、などと銘打った商品の特別セールを始めた。期待に胸ふくらませるファンたちにからのこのような大反響がたとえなかったとしても、大仕事を前にした漱石の緊張はやわらぎはしなかっただろう。ファン同様、漱石自身もこの作品がプロの作家としての処女作となることを十分承知していた。だが、処女作を書こうとする作家に共通の緊張のほかに、漱石には別のプレッシャーがあった。彼には、今度の作品はこれまで発表したどの作品とも異なるものでなければならないことがよくわかっていた。これまでの作品はどれも、長編といっても内容はあまり連続性のない「吾輩は猫である」のようなものか、あるいは二つの短編集に収録したさまざまな長さの短編か、そのいずれかの範疇に入った。しかし、今回は本当の長編小説を書かなくてはならない。そして、彼はそれをやりとげる気だった。その結果できあがった作品はあらゆることをやりすぎた長編小説だった。事実、「虞美人草」の魅力も欠点もすべてこの「やりすぎ」に起因している。
この作品は非常に華麗な文体で書かれてはいるが、物語は最後まで論理的に展開される。はじめは、二つの場所で同時に起こる出来事を交互に取り上げているため、多少テンポがゆっくりした感じだ。舞台の一つは哲学者然とした甲野と、外交官志望の野心を持つ宗近が旅行中の京都、もう一つの舞台は東京。そこでの主役は、甲野の腹違いの妹で、宗近と事実上婚約状態にある藤尾と、甲野らと大学の同級で、天皇からの恩賜の時計を受けたことのある小野だ。京都と東京で平行して繰り広げられる二つの筋は、さらにわき役的な登場人物によって複雑になり、とうとう上野の博覧会場で一つに交わり、ドラマのテンポが速まる。小野は恩師と、その娘で京都から出てきたばかりの小夜子に対する義理と、美と洗練、富を象徴する藤尾に対する想いとの板挟みに苦しむ。一方、宗近の妹の糸子は甲野に対する思慕の念を持っているにも関わらず、自ら身を引く。対照的なこの二組の恋のもつれの周囲で、わき役の登場人物たちがそれぞれに個性的な役割を演じる。たとえば、愛情深くはあるが策略好きな藤尾の母親、型破りだが理解のある宗近の父親、小野の旧友で実利主義の浅井などだ。浅井は不道徳、無節操で、婚約破棄を決心した小野の気持ちを、すでに混乱している父娘に伝える役をかって出る。しばらくのあいだ、何もかもが悪い方向へと走る。そのあと、物語の流れは突然向きを変え、不当に苦しんでいた人々に有利な方向へ動き出す。不正を嫌う宗近は、いくじのない小野にとるべき道を自覚させ、みんなの前で藤尾と対決させる。自分の負けを悟った藤尾は、今度は宗近に近づくが、また敗北を味わっただけだった。気位の高いこの主人公は、そのショックと恥ずかしさで打ちのめされる。
以上のようなあらすじからもわかる通り、「虞美人草」は簡単なストーリーの短編小説ではなく長編小説だ。つまり、筋と登場人物とのあいだの相互作用によって物語が展開される。ただし、この物語の場合は、筋と登場人物がつねに一箇所まとまっているわけではない。はじめの頃の、京都と東京での物語の同時展開はあまりに散漫で、じれったく、物語の先の面白味が感じられない。しかし、この二つの流れが出会って一つの渦になると、テンポがどんどん速まり、登場人物全員がその渦の中央に集まってくる。その渦の中央にいるのは藤尾で、すぐ外側の同心円上に小野、宗近、甲野がいる。さらに外側の輪の上にいるのが糸子と小夜子、そしていちばん外側の円周上にいるのが藤尾の母、小野の恩師、宗近の父、浅井らだ。物語全編を通じて、このような平行的な構造が、象徴的な意味を持つ二つの時計(一つは小野の恩賜の時計、もう一つは藤尾の時計で、父親の約束では宗近のものになるはずのものだが、藤尾は小野にやりたいと思っている)の機械的な規則性そのままに展開される。このような構造はもしかすると人為的すぎるかもしれないが、漱石のこれまでの作品には見られなかった構造的試みを喜ぶ読者もいるだろう。
漱石自身の説明によると、この物語の興味を愛だけに限定するつもりははじめからなく、二つか三つの興味の中心を作って、それらが摩擦を繰り返したあと、最後に爆発するという構成にしたかった。この二、三の興味とはおそらく、文学の定石的な次のようなモチーフのことを示しているのだろう。つまり、友情、謀略家の継母、血は水よりも濃いという人生訓、愛の三つの形、世代間の争い、対照的な性格などだ。漱石の当初の構想はどうあれ、この小説の中心人物は藤尾で、彼女がドラマを引っ張り、読者を魅了する。漱石自身、藤尾の性格の中に潜在的な悲劇性があるのに十分気づいていて、意図的にその性格を掘り下げている。そのため、この小説の中で最も詳細に描かれた登場人物になっている。彼女の性格で最も漱石の興味を引いたのは(クライマックスの場面を書いていた頃に漱石が密かに明かしたところによると)、彼女の利己主義だった。それは、解放された現代の女性に特有の性格で、あまやかされて育った藤尾の場合はその性格がさらに助長されている。タイトルの「虞美人草」は藤尾の持つ、女王のようなプライドと態度を象徴するにはぴったりだ。藤尾の気位の高さはある時にはクレオパトラのそれに(漱石は一度ならず藤尾をクレオパトラになぞらえている)、ある時には、唐王朝を滅ぼしたと言われる楊貴妃のそれにも似ている。藤尾の破滅的性格は彼女自身だけでなく、まわりの人を巻き込んでもしかるべきだが、漱石はそうはせずに、藤尾以外の人間は破滅から救っている。クライマックス場面を書いていた頃の漱石は、藤尾について次のように語っている。「私は『虞美人草』に嫌気がさしてきた。早く彼女を殺してしまいたい。」漱石は明らかに、自身が作りだした登場人物と戦っていた。そのことは次のような言葉からもわかる。『虞美人草は毎日かいている。藤尾という女にそんな同情をもってはいけない。あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。徳義心が欠如した女である。あいつを仕舞に殺すのが一遍の主意である。うまく殺せなければ助けてやる。しかし助かればなおなお藤尾なる人間は駄目な人間になる。最後に哲学をつける。この哲学は一つのセオリーである。僕はこのセオリーを説明するために全編をかいているのである。だから決してあんな女をいいと思っちゃいけない。小夜子という女のほうがいくら可憐だか分りゃしない。(七月十九日の手紙)』漱石はこのように書くと同時に、自然の掟にも逆らえないことを認めている。つまり、いまや小説自体を葬り去ることが無理なのと同様、藤尾を葬り去ることもできないという感想を述べている。
小説として「虞美人草」を見ると、誰の目にも明白な欠点が多すぎる。それは漱石の信奉者といえどもちょっと見逃せない。たとえば、とくにヒロインの言葉に見られる極度に装飾的な文体は、フィクションの世界では場違いに感じられる。物語の構成は複雑にはできているが、漱石流の数学的デザインの痕跡があちこちに見られる。また、登場人物の性格づけが緻密になされていない。藤尾以外の登場人物はみなあまりに型にはまっていて、矛盾がなさすぎ、あまりに純粋、単純な人物になりがちだ。結局のところ、この作品はいずれ失敗に終わる運命にあった。それは漱石が自然の掟に逆らったためでも、それに逆らう手前で立ち止まってしまったためでもない。皮肉と言えば皮肉なことだが、むしろそれは、漱石が物語をおもしろくしようとするあまり、自然の掟を越えた先まで行ってしまうことがしばしばあったためだった。
この小説には作者漱石の姿が見えすぎる。登場人物に気がねをしてか、あるいは読者へのサービス精神を出してか、漱石は物語を流れままに展開させることも、登場人物たちをその役割通りに徹底的に演じさせることもできなかった。物語の展開と登場人物の行動のひとつひとつに対し、漱石は型にはまった注釈をつけている。これは漱石が物語の流れや、登場人物の行動の底に流れるものを、自分の文学理論に合わせて変更しようとしたわけではない。たとえば、小野の最後の土壇場での変心と藤尾の失墜は、あまりに突然だという理由で、ある一部の読者にはこの作品は不評かもかもしれない。しかし、そういった非難は当然である一方、この突然の変化は小野と藤尾の性格には合っている。しかしながら、全体としては、物語の流れと登場人物との間の自然で有機的な相互作用が、作者の干渉によって著しく損なわれている感がぬぐえない。この傾向は特にクライマックス場面で目立っている。作者はそこで筋と登場人物を無理矢理いっしょにして、理論づけをしなければならないと感じているかのように見える。漱石はこの小説の終わりに、甲野の日記と、ロンドンに関しての宗近の謎めいた言葉を置き、自分の哲学を明白にしているが、これはメレディスの方法を借りたものだ。ここで重要なのは、甲野の感慨(『すべてが喜劇である。最後に一つの問題が残る。ーー生か死か。これが悲劇である』)でも、宗近の言葉(『ここでは喜劇ばかりが流行る』)でもなく、また、この二つを合わせたものでもない。むしろ、漱石が自分の人生理論をこうした状況の中で完全に表現しきれなかった点が注目される。漱石は自分の創造した登場人物が作り出した世界に、自分の人生理論を押しつけることはできたかもしれないが、読者の方はもっとよくわかっていて、このような悲劇がまったく場違いであることを知っている。なぜなら、ここに描かれている世界は喜劇とも呼べないもので、単なるメロドラマにすぎないからだ。漱石が暗に示しているように、人間の喜劇はすべて、遅かれ早かれ悲劇に終わる。しかし、メロドラマは悲劇に終わることはない。
漱石自身、一九〇九年に次のように言っている。つまり、どんな文学作品でも、作者の意図を裏切った場合、失敗作と呼ばなければならないと言っているのだ。その意味では、「虞美人草」は失敗だった。一九一三年には漱石はこの小説を芸術的な失敗と呼び、書棚から消えてくれるように望んでいると書いた。こういった事情はあるにしても、「虞美人草」が小説家としての漱石にとって重要な意味を持つ作品であることに変わりはない。つまり、否定的な意味だけでなく肯定的な意味においてもこの作品は漱石にとって金字塔であった。芸術的には失敗だったとしても、この作品は本当の意味での漱石の最初の小説であり、その中で漱石は筋を組み立て、状況を作り上げ、さまざまな種類の登場人物(型にはまっていたにしても)を創作する能力が自分に備わっていることを世間に示した。また、この小説には技術的な器用さのほかに、漱石自身が日本文学に一般的に欠けると嘆いている「知的要素」がふんだんに含まれていた。漱石は小説という新しい媒体を通して、何かおもしろくて重要なことを伝えようとした。さらに、これは無意識的なことだろうが、そこに登場する男女の性格を通して、漱石は彼の頭の中にあるすべての主人公の原型を提示している。つまり、甲野と小野、小夜子と藤尾、さらには男と女との対比によって、あらゆる主人公のタイプが示されている。そして、最後に、悲劇が喜劇にまさるという漱石の発見が示されている。なぜかと言えば、悲劇のみが人生に真剣に取り組む方法だからだ。このことは「虞美人草」では軽く触れられているにすぎない。そして、このことを深く追求することが漱石のその後の作品の最大の関心事となった。
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