Lodging-5

5番目(最後)の下宿

81, The Chase, Clapham Common Miss Leale方
滞在期間 1901年7月20日〜1902年12月5日

 漱石が下宿探しの広告を出した頃、このリール家を漱石に紹介したのは横浜正金銀行の渡辺伝右衛門(春渓)の友人で、すでにこのリール家に下宿していた。
『自分の古い知友、太良(渡辺和太郎)は以前から、この家の二階に下宿していた。たまたま三階に空室が出来て、日本人で下宿の欲しいものがあれば、世話してくれと、主婦から頼まれた。丁度その時漱石先生は前からの家が思わしくなく、外に適当な所を探していた所なので、太良は早速先生に通知した』(渡辺伝右衛門「漱石先生のロンドン生活」より)

 結局漱石は他に適当な下宿を見つけることが出来ず、この下宿に移って来たのである。『午前Miss Leale方ニ引越シス大騒動ナリ四時頃書籍大革来ル箱大ニシテ門ニ入ラズ門前ニテ書籍ヲ出ス夫ヲ三階ヘ上ル非常ナ手数ナリ暑気堪難シ発汗一斗許リ室内乱雑膝ヲ容ルル能ハズ』(7月20日の日記より)
 『今度の処は御婆さんが二人退役陸軍大佐という御爺さんが一人丸で老人国へ島流しにやられたような仕合いさ。この御婆さんがミルトンやシェークスピアを読んで居ておまけに仏蘭西語をペラペラ弁ずるのだから一寸恐縮する。』(正岡子規宛の書簡より)

 この下宿で漱石は帰国までの約1年4ヶ月ほど「文学論」の準備のため、三階の自室に閉じこもり読書、思索などに没頭した。外出も少なくなったため、神経衰弱になったと言われ日本では発狂の噂まで流れた。

(*漱石記念館はこの下宿の真向かいの二階 80b, The Chaseにある)

 2003年3月、この下宿が売りに出た


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