J.M.ディクソン漱石が帰国前に落ち込んでいるのを心配した下宿のミス・リールもしくは医者は、漱石にスコットランドの避暑地ピットロッホリー(漱石はピトロクリーを使用)での休養を勧めたものと思われる。 漱石を招待したとされる人物は本職は弁護士であったJ.H.ディクソンとされており、旅行が好きで2度も日本を訪問している。特に日本美術に興味を抱いており、英国を訪れた五姓田義松が,金がなく,20数枚の絵と引き替えに20シリングのお金を得ていた事実は殆ど知られていない。 このJ.H.ディクソンが、漱石が明治24年(1891)12月東京帝国大学文科大学英文科在学中に依頼され,『方丈記』を翻訳したJ.M.ディクソンと関係あるかは未詳である。ちなみに漱石は『私の個人主義』でディクソンを余り高く評価していない。 |