Koyama

小山正太郎(1857-1916)

 漱石と第3の下宿にて同宿していた洋画家。

 小山は現在の新潟県で生まれ、明治4年政治家を志して上京するが、同年川上冬崖の主宰する画塾聴香読画塾に入っている。9年工部学校が開設されると同校に入学、やがて助手になっている。11年11月、絵画教師だったフォンタネージの後任となったフェレッティーの教授法に不満を抱き、仲間と共に退学して十一会を結成。23年にはフェノロサや岡倉天心たちの洋画排斥論に反対し東京高等師範学校を解任されている。しかし小山を支持する弟子たちは多く、黒田清輝が26年にパリから帰国するまでの冬の時代を持ちこたえている。
 
33年にパリ万博の出品監査委員となり、文部省より図画教育取調の命を受けて渡欧、その帰りにロンドンで偶然漱石と同じ下宿に滞在しているのである。

 残念ながら漱石滞英中の日記に小山の名前は見あたらないが、英国絵画に多大な感心を抱いていた漱石が小山とどのような会話を交えたのか、とても興味が湧く。小山の弟子には中村不折、満谷国志郎、鹿子木孟朗などがいる。


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