ソプラノ歌手。
漱石は1901年11月2日付けの寺田寅彦に宛てた手紙に、『明日の夜は当地で有名なPattyといふ女の歌を「アルバートホール」へ聴きに行く積り 小生に音楽杯はちとも分らんが話の種故この高名な歌ひ手の妙音一寸拝聴し様と思ふ』と書いている。
パティーは当時クラパムコモンの南側に住んでおり、そこから徒歩でわずか10分弱の所に漱石は住んでいたが、彼はそのことを知る由もなかった。