漱石はUCLの「Kerノ講義ヲ聞ク」(1900年11月7日付け日記)と記しているが、A list of Japanese Student at UCL, 1900 には漱石の名前は登録されていない。つまりケアー教授の許可を得ての聴講生だったと思われる。
英文学の講義を聴いても日本の大学の講義と変わらないし、汽車に乗って時間を潰して聴きに行くよりその費用で本を買って読むほうが早道だと考え、学校へ通うのを止めている。